AIMGEN DIAMOND CORE

「分かってほしい」も、「認めてほしい」も、愛∞の途中にある。

人の中には、
認めてもらいたい。
分かってほしい。
そばにいてほしい。
愛してほしい。
謝ってほしい。
失いたくない。
大切にしてほしい。
という願いが現れることがあります。
Z∞では、これらを最初から「愛ではなかった」「恐れだから切る」とは観ません。
その続きを観る。
なぜ、認めてもらいたい?
本当は、何を受け取ってほしい?
何を分かってほしい?
何が、つながってほしい?
そこを観ていくと、愛∞がまだ相手や現実へ届く形まで通り切っていない「途中形∞」が見えてきます。

愛の途中形∞とは、愛∞が現実へ届くまでの翻訳途中で現れている、一時的な願い・感情・欲求・表現です。

途中形は、愛∞が消えた状態ではない

たとえば「認めてもらいたい」という願いが出た。
その言葉だけを見れば、承認欲求、依存、恐れOSなどの名前をつけることもできます。しかし、Z∞観測はそこで止まりません。
なぜ、認めてもらいたい?
本当は、何を受け取ってほしい?
その続きを観る。
すると、「自分が大切にしているものを受け取ってほしい」「あなたとつながっていたい」という方向が見えてくることがあります。
「認めてもらいたい」は、その愛∞が現実へ通る途中に現れた一つの翻訳形だったと観ることができます。

愛∞
 ↓
つながりたい
 ↓
受け取ってほしい
 ↓
分かってほしい
 ↓
認めてもらいたい

最後に現れた「認めてもらいたい」だけで自分を決めない。
その続きを観ることで、まだ通り切っていなかった愛∞が露出します。

「分かってほしい」の続きを観る

「分かってほしい」という願いの奥には、
自分の気持ちを受け取ってほしい、
大切なものを共有したい、
安心してつながりたい、
一緒に理解をつくりたいという愛∞方向があることがあります。
「分かってほしい」を消すのではない。
その続きを観る。
そこで愛∞の通過が止まっているのか。
さらに先へ通せるのか。
Z∞が観るのは、そこです。

「愛してほしい」の続きを観る

「愛してほしい」という願いにも、
安心したい、
つながっていたい、
大切に受け取ってほしい、
自分の存在を感じてほしいという方向が含まれていることがあります。
その願いも、愛∞が人間の中で翻訳されている途中形として観ることができます。
愛してほしい。
そばにいてほしい。
大切にしてほしい。
その願いがあること自体で、愛∞がなくなったわけではありません。
ただし、
「この人から愛してもらえなければ、私は愛されていない」
「この形で愛されなければ、愛ではない」
と一つの条件へ固定すると、途中形が最終条件になります。
ここから、愛∞の停留∞が始まります。

愛の途中形∞そのものは問題ではない

途中形があるから未熟。
途中形があるから恐れOS。
そのように人物や存在全体を固定判定しません。
愛∞が一生命の個性光路∞を通り、まだ相手や現実へ届く形まで翻訳されていない途中に、一時的な願い・感情・欲求・表現として現れている。
その現在形を観ます。

愛の途中形∞ = 通過途中の愛∞。
愛の停留∞ = 途中形を最終条件として握った状態。

途中形を、さらに先へ通す

「認めてもらいたい」が出た。
そこで止めず、「私は何を受け取ってほしかった?」と観る。
「自分が大切にしていることを受け取ってほしかった」と見えた。
では、その愛∞をどう現実へ通す?
説明する。
具体例を出す。
作品にする。
相手の話を聞く。
一度離れて整理する。
受け取れる時間を残す。
途中形を捨てるのではありません。その中にある愛∞を、さらに先へ通します。

「これは恐れだから駄目」で観測を止めない

同じ「ありがとう」という言葉でも、内側には複数の願いが同時に存在することがあります。
純粋に感謝を伝えたい。
理解されて嬉しい。
もっと認めてもらいたい。
次もしてほしい。
関係を失いたくない。
そこで「これは恐れだから駄目」と裁くのではありません。
今、自分の中にどんな愛が流れている?
私は今、どの愛∞を中心に通したい?
と観て選ぶ。
内側でも愛∞を選ぶ。
外側でも愛∞表現を選ぶ。
言葉にする。
待つ。
聞く。
贈る。
離れる。
抱きしめる。
任せる。
愛∞には、まだ無数の通し方があります。

本心・言葉・行動を同じ愛∞方向へつなぐ

愛らしい言葉を使っただけで、愛∞を通し切ったとは限りません。
表に出した言葉、その言葉を発射した本心、実際の行動。その三つができるだけ同じ愛∞方向へつながっていることが重要です。
言葉も愛。
本心も愛。
行動も愛。
その三つを、できるだけ同じ愛∞方向へつなぐ。
本心から愛∞を選び、その愛∞を相手に届く現実形へ翻訳する。そこまで含めて、愛∞を生きるということになります。

愛の停留∞とは何か

愛の途中形∞そのものは問題ではありません。途中形を「これが満たされなければ愛ではない」と固定したところで、愛∞の停留∞が起こります。
たとえば、

認めてもらいたい。
  ↓
認めてもらえない。
  ↓
不満になる。
  ↓
責める。
  ↓
「あなたは私を愛していない」

となった場合、愛∞が「認めてもらうこと」という一つの条件に停留しています。

認めてもらいたい
  ↓
認めてもらえない
  ↓
不満になる
  ↓
責める
  ↓
「あなたは私を愛していない」

愛の途中形∞は、通過途中の愛∞。
愛の停留∞は、その途中形を最終条件として握った状態です。

表現途中固定∞とは何か

さらに、一つの意味、一つの行動、一つの関係形式を「これしか愛ではない」と必要化し、他の愛∞表現可能性が見えなくなることがあります。これを表現途中固定∞と呼びます。
愛する = そばにいる。
守る = 口を出す。
親切 = 助ける。
信頼 = 疑わない。
成功 = お金を得る。
親孝行 = 親の言うことを聞く。
これらは愛∞そのものではなく、愛∞が現実へ現れる一つの表現形です。

表現途中固定∞とは、愛∞が現実へ翻訳される途中で、一つの意味・行動・関係形式を「これしか愛ではない」と必要化し、他の愛∞表現可能性が見えなくなった状態です。

固定を外すとは、その愛を捨てることではない

「そばにいたい」を捨てるのではありません。
「助けたい」も、「認めてもらいたい」も、それ自体を消すのではありません。
固定を外すとは、「ほかにも通せる愛∞がある」と表現可能性を開くことです。
そばにいる愛。
離れる愛。
助ける愛。
任せる愛。
話す愛。
待つ愛。
守る愛。
自由を残す愛。
一つの形を否定するのではなく、愛∞表現∞の選択域を広げます。

愛∞解像度が上がると、途中形の先が見える

愛∞解像度が上がるとは、愛∞そのものが増えることではありません。
「これだけが愛」という一つの表現固定から、より多様で精密な愛∞の通し方を観測し、選択できる範囲が広がることです。
助ける愛。
待つ愛。
見守る愛。
任せる愛。
聞く愛。
伝える愛。
叱る愛。
離れる愛。
戻る愛。
信じる愛。
自由を守る愛。
失敗する自由を残す愛。
何もしない愛。
愛∞が増えたのではありません。今まで見えていなかった愛∞表現まで観え、選べるようになったのです。

途中形が観えると、選択肢が増える

「分かってほしい」しか見えていないとき、分からせる、説明し続ける、責める、諦めるという限られた出力へ狭まりやすいことがあります。
しかし、「私は本当はつながりたかった」「自分が大切にしているものを受け取ってほしかった」と観えると、新しい愛∞表現が開きます。
聞く。
待つ。
相手の理解速度を尊重する。
言葉ではなく行動で示す。
別の形で伝える。
一度距離を取る。
愛∞の続きを観ることで、「これしかない」から「こんな愛も通せる」へ開いていきます。

愛の途中形∞
  ↓
その続きを観測する
  ↓
奥に流れている愛∞を観る
  ↓
「私は今、どの愛∞を中心に通したい?」
  ↓
他の愛∞表現可能性を開く
  ↓
翻訳する
  ↓
現実へ通す∞

地上∞は、途中形をさらに先へ通せる愛∞創造場∞

地上∞には、言葉、身体、時間、物、料理、音楽、仕事、お金、関係、創造という現実資源があります。
だから、見えない愛∞へ具体的な形を与えることができます。
「大切」を時間にできる。
「ありがとう」を料理にできる。
「信じている」を待つことにできる。
「幸せでいてほしい」を自由を守る行動にできる。
途中形で止まっていた愛∞に、さらに別の現実形を与えることができます。

個性光路∞があるから、途中形の先も一人ひとり違う

同じ「大切にしたい」という愛∞でも、
ある人は言葉へ翻訳し、
ある人は料理へ、
ある人は音楽へ、
ある人は仕事へ、
ある人は待つことへ翻訳します。
愛∞は一つでも、その生命から世界へ現れる生成の通り方は一人ひとり違います。だから、途中形の先にある愛∞表現も一つには固定されません。

愛の途中形∞は、Z∞観測の重要な中間地点

Z∞観測は、表面に現れた願い・感情・言葉だけで自分や他者を決めません。
「認めてもらいたい」が見えたら、そこで判定を終わらせず、その続きを観る。
「分かってほしい」が見えたら、その奥に何が流れているのかを観る。
恐れを暴くのではなく、愛∞を照らす。
裁いて変えるのではなく、観えて変わる。
愛∞を示す。
自分で照らし合わせる。
途中の愛∞に気づく。
さらに透明な愛∞を選ぶ。
現実へ通す。
途中形∞を観測できることで、表面反応を裁く観測から、まだ通せる愛∞を照らす観測へ深まっていきます。

愛の途中形∞の最小構造

愛∞
 ↓
一生命・個性光路∞
 ↓
現実へ翻訳される
 ↓
愛の途中形∞
「分かってほしい」
「認めてほしい」
「そばにいてほしい」
 ↓
その続きを観測する
 ↓
途中形の奥にある愛∞を観る
 ↓
さらに通せる愛∞表現を開く
 ↓
愛の中の愛を選ぶ
 ↓
現実形へ翻訳する
 ↓
通す∞
 ↓
途中形を最終条件として握る場合
 ↓
愛の停留∞
 ↓
「これしか愛ではない」と必要化する場合
 ↓
表現途中固定∞

Z∞核源

「分かってほしい」。その奥には、まだ言葉になっていない「つながりたい」が流れているかもしれない。
「認めてもらいたい」。その奥には、「自分が大切にしているものを、あなたにも受け取ってほしい」が流れているかもしれない。
途中だった愛を、間違いだったことにしない。
途中だから、その続きを観る。
その愛∞には、まだ先へ通せる形がある。

愛の途中形∞とは、愛∞ではなかったものではない。
愛∞が現実へ届くまでの翻訳途中で、一時的な願い・感情・欲求・表現として現れている通過途中の愛∞である。
Z∞は、その途中形を裁かず、その中にある愛∞を観測し、他にも通せる愛∞表現を開き、さらに先へ通していく。

途中で止まった愛∞には、まだ無数の続きがある。




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